だいぶ前の以前にとある事業会社で働いていた頃のある同僚のことを、最近ふと思い出す機会がありました。
その人は、承認欲求が高いことを公言して憚らないタイプで、あえてデザイナーとステークホルダーの間に入り、ディレクションのような役割を担っていました。
当時はなんとなく違和感を覚えながらも、その正体をうまく言葉にできずにいました。
今になって、その違和感の正体が少し分かるようになった気がするので、書いておこうと思います。
目次
間に入ることで、功を「誇る」人がいる
その人は、デザイナーが作ったものやステークホルダーとのやり取りの成果を、まるで自分がディレクションした手柄であるかのように扱う場面が、たびたびありました。
承認欲求が高いこと自体は、悪いことではないと思います。
ただ、間に入るポジションを取ることそのものが、成果を自分のものとして語りやすくするための立ち回りだったんだろうと、今なら分かります。
当時は「なんか違うんだよな」としか思わなかったんですが、今ならその感覚を、もう少し言葉にできる気がしています。
承認欲求が高いこと自体は、問題じゃない
誤解のないように書いておくと、承認欲求が高いことそのものは、まったく問題だとは思っていません。
むしろ、成果を誇りたい気持ちがモチベーションになる人がいるのも自然なことです。
問題になるとしたら、その承認欲求を満たす手段として、必要以上に人と人の間に入り込み、伝言ゲームのような非効率を生んでしまうことの方だと思います。しかも厄介なのは、単に非効率になるだけでなく、間に人が入ることで、ステークホルダーの意図や目的そのものが、少しずつねじ曲げられてしまうリスクがあることです。
効率が落ちることより、こちらの方がずっと大きな問題だと、今は感じています。
効率が落ちることより、意図がねじ曲がることの方がずっと怖い、というのは、今の自分がいろんな案件を見てきて、強く感じるようになったことです。
「ディレクションしてもらえる方が助かる」という側面もある
一方で、ディレクションを誰かに任せられると、制作側は目の前の制作そのものに専念できる、という側面もあると思います。タスクや進捗の管理、ステークホルダーとの調整を誰かが引き受けてくれるなら、それ自体はありがたい面もあったはずです。
ただ、この「ありがたさ」が成立していたのは、進捗管理やタスク管理そのものに、一定の手間と専門性が必要だった時代の話なんだと思います。
そもそも事業会社でそれっている?
そしてこれは、制作会社より事業会社の方が、なおさらそうかもしれません。
制作会社であれば、外部クライアントと制作チームの間に入り、契約・納期・要件を整理するディレクターの役割には明確な意味があります。
一方で事業会社では、デザイナー自身も事業をつくる当事者です。事業責任者や営業、マーケティング担当者と直接話せる距離にいるにもかかわらず、そこに常に誰かが入り続ける必要があるのかは、疑問が残ります。
むしろ、直接対話することで得られる背景や温度感まで中継されてしまうと、事業会社ならではの近さを活かせなくなることもある気がしています。
AI時代には、その前提が変わってきている
今は、タスクや進捗の管理を、AIやツールがかなりの部分肩代わりしてくれるようになりました。スケジュールの整理も、抜け漏れの確認も、以前より個人で完結しやすくなっています。
そうなると、「間に入ってディレクションする」という役割のうち、純粋な調整・管理の価値の部分は、これからどんどん薄くなっていくはずです。
逆に言うと、そこにしか価値を置いていなかった立ち回りは、いずれ立ち行かなくなっていくのかもしれません。
残るのは、本当に意味のある判断や、ステークホルダーの意図を正しく汲み取って伝える力の方だと思います。
間に入る役割の人と付き合うときに、自分が意識していること
- そもそも、自分のタスク・スケジュール管理力を高めておく: 管理を他者に依存しなくて済む状態を作っておく
- 意図が歪んでいないか、直接確認する機会を残す: 間に人が入っても、ステークホルダーとすり合わせる場を完全にはなくさない
- 功を誇ること自体を否定しない: 承認欲求とうまく付き合いながら、健全に評価される関係を目指す
- 「管理」と「判断」を分けて見る: 相手が担っているのが単なる調整なのか、価値ある判断なのかを見極める
- 直接のコミュニケーションコストを恐れない: 間に人を挟むことが、必ずしも効率的とは限らないと理解しておく
さいごに
当時は言葉にできなかった違和感も、今振り返ると、割とシンプルな話だったんだと思います。
功を誇りたい気持ち自体は自然なものだけど、それが人と人の間に入ることで満たされるものだとしたら、その役割の「管理」の部分は、AIによってどんどん代替されていくはずです。
これからは、間に入ることの価値より、直接届けることの価値の方が、静かに見直されていく気がしています。

