「作ったもののなぜ?に答えられるべき」も、一つの「べき論」なのかもしれない

悩むデザイナー

あるデザイナーの考えを見かけました。「作ったものについて『なぜ?』と聞かれたら答えられなければならない。他の人はデザイナーではないのだから」という主張です。

全体としては共感できる部分が多かったのですが、なんとなく引っかかるものがあったので、自分の考えと照らし合わせながら考えてみます。

「べき論への違和感」から始まって、「べき論」で終わっていた

その考えとしては、「あるべき論を押しつけるのはおかしい」と語りながら、後半では「デザイナーはこうあるべき」という、かなり強い規範を置いていました。

状況や相手に応じて知識を使い分けるべき、という前半の主張と、例外なく「説明できなければならない」という後半の主張は、実は同じ構造をしているように思えます。

「説明できる方がいい」と「説明できなければならない」は、似ているようで全然違う

自分がこの投稿に感じた引っかかりの正体は、たぶんここにあります。「説明できる方が望ましい」であれば、素直に頷けます。

でも「説明できなければならない」という一文になったとたん、それは例外を許さない職業規範に変わってしまいます。

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