前回、「間に入って功を誇る人」についての記事を書きましたが、当時の組織のことをあらためて振り返って、もう一つ気になっていたことを思い出しました。
セクショナリズム。つまり部署ごとの縄張り意識のようなものが、会社全体としてかなり強かったように思います。
この2つが重なったとき、組織にどんな影響が出やすいのか、客観的に振り返ってみようと思います。
目次
セクショナリズムと「功を誇る人」は、相性が良い(悪い意味で)
功を自分のものにしたい、という動機を持つ人にとって、セクショナリズムが強い環境は、実はかなり動きやすい場所だったりします。部署間の情報共有が薄い分、誰が何をどこまでやったのかが、外からは見えにくくなるからです。
境界が曖昧なほど、「自分がやった」という主張がしやすくなる。逆に言えば、セクショナリズムは、功を誇りたい人にとって、都合の良い土壌になり得るんだと思います。
当時は別々の問題だと思っていたんですが、今振り返ると、この2つは組み合わさることで、お互いを強化し合っていたのかもしれないと感じています。
情報の流れが滞ると、意思決定の質も落ちていく
セクショナリズムが強い組織では、部署をまたいだ情報が、なかなかスムーズに流れません。良い情報も悪い情報も、伝わるまでに時間がかかったり、誰かの都合でフィルタリングされたりします。
前回書いた「間に人が入ることで意図がねじ曲がる」という問題も、セクショナリズムが強い環境では、より起こりやすくなるんだと思います。
情報の流れが滞っている組織ほど、誰か一人の解釈や立ち回りが、実態以上に影響力を持ってしまう。今振り返ると、そういう構造だったのかもしれません。
情報が自然に流れている組織なら気にならないような立ち回りも、情報が滞っている組織では、思った以上に力を持ってしまうんだなと感じています。
個々の出来事は小さくても、積み重なると組織の体力を奪う
セクショナリズムも、功を誇る立ち回りも、単体で見れば、それほど大きな問題には見えないかもしれません。ただ、こうした小さな摩擦や非効率が積み重なっていくと、組織全体の意思決定のスピードや、情報の正確さが、少しずつ損なわれていくものなんだと思います。
これは特定の会社や個人の話というより、組織というものが持つ、わりと普遍的な弱点なんじゃないかと、今は捉えています。
組織の「体力」を守るために、自分が意識するようになったこと
- 部署をまたいだ直接のコミュニケーションを増やす: 間に入る人や層をできるだけ減らす
- 「誰の手柄か」より「何が実現したか」を見る: 成果の帰属より、実現したことそのものに焦点を当てる
- 情報はなるべく早く・広く共有する: フィルタリングされる前の一次情報に触れる機会を増やす
- 小さな摩擦を放置しない: 些細に見える非効率も、積み重なると大きな影響になると意識しておく
- 組織構造そのものを定期的に見直す: セクショナリズムが生まれやすい構造になっていないか、時々俯瞰する
さいごに
当時は、目の前の違和感に対処するだけで精一杯でしたが、今振り返ると、セクショナリズムと功を誇る立ち回りは、想像以上に相性が良く、組織の体力をじわじわ削っていくものなのかもしれないと感じています。
特定の誰かが悪いという話ではなく、そういう構造ができてしまうこと自体が、組織にとってのリスクなんだと思います。
これから自分がどこかで組織づくりに関わるときは、この2つの兆候には、早めに気づけるようにしたいです。

