社内表彰制度が、その2つの「掛け算」を後押ししていたのかもしれない、という話

表彰制度

セクショナリズムと功を誇る立ち回りについて、ここまで2回書いてきましたが、当時の組織にはもう一つ、関係していそうな仕組みがあったのを思い出しました。

功を誇る人 「間に入って功を誇る人」というタイプについて、今だから分かること セクショナリズム セクショナリズムと「功を誇る人」が重なると、組織はゆっくり脆くなるという話

それは、社内表彰制度です。

この制度が、これまで書いてきた2つの傾向に「どう影響していた可能性があるか?」を、今回は考えてみようと思います。

表彰制度は「何が報われるか」を、静かに学習させる

社内表彰のような制度は、単に成果を評価するだけの仕組みではなく、「この組織では何をすると報われるのか」を、社員に学習させる装置でもあるんだと思っています。

もし表彰が、個人単位で、成果の見えやすさを中心に評価される仕組みだったとしたら、それはセクショナリズムや功を誇る立ち回りと、かなり相性が良くなってしまいます。

部署間の情報が分断されている環境では、誰が本当に何をしたのか、外からは見えにくいからです。

かかかず
かかかず

表彰制度って「評価する仕組み」だとばかり思っていましたが、「何を学習させる仕組みか」で見ると、また違う顔が見えてくるなと感じています。

見えにくい構造の中では、強くアピールした人が有利になる

情報が分断された組織では、「自分の部署・自分の成果を強くアピールした人」が、表彰の場でも有利になりやすいと思います。そしてその人が実際に表彰されると、周囲はそれを見て、「そうやって成果を見せないと評価されないんだ」と学習してしまいます。

特に危ないかも?って思うのは、表彰がこんな構造になっている場合。

  • 個人表彰が中心
  • 成果の“見えやすさ”が評価される
  • 部署横断の貢献が評価されにくい
  • 推薦者や上司の認知に依存する
  • 「誰が一番貢献したか」を競わせる
  • プロセスより結果だけを見る
  • 裏方や調整役の貢献が見えない

こうなると、セクショナリズムが強い組織では、

情報が分断されている

誰が本当に何をしたか全体から見えない
自分の部署・自分の成果を強くアピールした人が有利
表彰される
「この立ち回りが正解なんだ」と学習される
さらに功を取りに行く人が増える

っていう、かなり嫌な強化ループができてしまうイメージ。

すると、もともと功を誇るタイプではなかった人まで、「協力するより、自分の成果として見せた方が得」って感じで、自己防衛のように成果を囲い込むようになっていく。

これは足し算というより、掛け算に近い現象だったんじゃないかと、今は感じています。

かかかず
かかかず

セクショナリズムだけなら情報共有の問題。功を誇る人がいるだけならその人個人の問題。でも表彰という「公式な評価」が加わると、話の次元が変わってくる気がしています。

また、自薦制度ってのも一時ありました。

この場合、表彰は成果を評価する仕組みであると同時に、「自分の成果をどれだけ強く主張できるか」を競う場にもなり得る。

情報が分断された組織では、その自己申告を周囲が十分に検証できないため、功を誇る立ち回りと非常に相性が良くなってしまうように思います。

「個人の問題」が「組織文化」に変わる瞬間

セクショナリズムだけなら、情報共有が悪いという話で済みます。功を誇る人がいるだけなら、その人個人の立ち回りの問題です。

ただ、そこに表彰制度が「その立ち回りを公式に評価する」という形で加わると、話が変わってきます。

個人の立ち回りが、組織として推奨される行動へと、静かに格上げされてしまう。表彰制度そのものが悪いというより、評価の設計が既存の傾向と噛み合ってしまったときに、それを後押しする「増幅装置」になり得るんだと思います。

表彰制度は、設計次第でむしろ逆にも働く

一方で、表彰制度自体が悪者だとは思っていません。

設計次第では、むしろセクショナリズムを崩す方向にも働くはずです。

部署をまたいだプロジェクトを表彰する、本人以外からの推薦を重視する、成果の背景にあった協力関係まで評価に含める。そういう設計であれば、同じ「表彰」という仕組みが、真逆の効果を生むこともできると思います。

表彰制度

実際、その後に関わった企業では、売上や数字だけではなく、会社が掲げるValueに沿った行動ができていたかを基準に表彰する仕組みがありました。

これは個人的に、とても良い設計だと感じています。

「大きな数字を作った人」だけではなく、「周囲を巻き込んだ」「顧客起点で動いた」「チームのために行動した」といった、会社として増やしたい行動そのものを評価できるからです。

しかも、表彰理由を「このValueを体現した行動だったから」と説明できるので、何を称賛したいのかも分かりやすい。

表彰された人を通して、周囲も「この会社では、こういう行動が評価されるんだ」と学習していく。そう考えると、表彰制度は成果を称えるだけではなく、組織文化を育てる仕組みにもなり得るんだと思います。

つまり問題は、表彰制度があることそのものではなく、「何を称賛の対象にしているか」なんだと思います。

評価・表彰の仕組みを見直すときに、意識しておきたいこと

  • 個人表彰だけに偏らせない: チームや部署横断の成果も、同じくらいの重みで評価する
  • 推薦の出どころを広げる: 本人や直属の上司だけでなく、関係者からの声も評価に反映する
  • 結果だけでなく背景も見る: その成果が生まれた経緯やプロセスにも光を当てる
  • 見えない貢献を意図的に拾う: 裏方・調整役の貢献を、表彰の場で言語化して紹介する
  • 表彰が学習させていることを定期的に問い直す: 今の基準が、本当に促したい行動につながっているか確認する

さいごに

当時は、表彰制度そのものを疑うことはありませんでした。

実際、自分自身も表彰してもらったことがあり、そのときは素直に嬉しく、自分の仕事を見てもらえた感覚もありました。

だからこそ、表彰制度を単純に「良くない仕組みだった」と言いたいわけではありません。

ただ、こうして振り返ってみると、良かれと思って作った仕組みが、既にある組織の傾向と噛み合うことで、意図せず個人の立ち回りを後押しし、それが組織文化にまで広がってしまうこともあるんだと思います。

自分もその仕組みの中で嬉しさを感じた側なので、何とも言い切れない部分はあります。

それでも、制度を作るときは、それが何を評価しているかだけでなく、結果としてどんな行動や価値観を強化してしまうのかまで、あわせて考える必要があるんだと、今は感じています。

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